肉を食べないと体に悪いという誤解

日本では、肉を食べないと体に悪いとか、
ベジタリアンになると栄養が不足する、
とか、そんな誤解が蔓延している。


私もはじめの頃は少し不安だった。
でも、インド人と多く知りあう様になって、
彼ら約12億人の国民の半数がベジタリアンである事を知ってから、
考えは一変した。


陽気で頭が良く、ガタイの良いインド人男性が、
産まれてから多分一度も肉を口にした事がないと聞いて驚いた。
その親も、彼の親戚も皆、菜食主義なのだ。
肉つきも良い、見るからに健康そのもの。
身長は183cm、体重は確か76kgと言っていた。


アメリカにすんでから、たくさんのインド人と知り合い、
ほとんどの皆が完全な菜食の生活を送っているのを目にした。
肉どころか、魚も卵も食べない。
それでも、生活やスタミナなど、私達と何も変わらない。頭だってかなり良い。


管理栄養士の資格を持つ友人に肉を食べるのと食べないのでは、どちらが健康に良いのか、と一度聞いてみると、

「もちろん肉を食べない方が健康に良いよ」

と即答された時は、正直驚いたものだ。


何故日本では、肉を食べなければ健康に悪いという誤解が定着してしまっているのだろうか。
多分、現代の食事メニューが、肉無しでは考えられないメニューばかりになってしまっているからだろう。
様々な材料から摂取できる栄養が肉に手っとり早く含まれている、という考え方だろうか。でもその分、大腸癌が急速に増えている。


肉無しでも、十分な栄養が摂取できるレシピやメニューが一般に広がれば、皆の認識もきっと変わるはず。
どう考えても、毎日ラーメンや焼き肉、牛丼ばかり食べ、スズメの涙程度に野菜を食べるなんて不摂政な生活よりも、野菜と穀物、果物に豆類などを多めに食べた方が、健康に良いに決まっている。


インド料理はその点で非常に優れている。
ベジタリアンの為の食事が非常に進化した国だ。


だから私は今インド料理を勉強中です☆




アメリカのある豚肉処理工場で、動物に対する虐待が潜入捜査によって明らかになったそうです。

産まれたばかりの子ブタを、地上から2m以上の場所にあるパイプに並べたり、
子ブタを離乳させられたのに反抗した母豚が後ろ足を骨折し泣き叫ぶのに構わず、その上に係員が座ったり、オスの子ブタの睾丸を切り取って、投げ合って遊んだり、それを母豚に食べさせたり等など、
こんな事が行われていたそうです。


最後の睾丸で思い出したのは、インディアンの虐殺ですね。
インディアンの虐殺で、当時遊びの様に行われたのが、小さな男の子の睾丸を切り取って、戦利品にするというものでした。


そう考えると、相手が人間であっても、豚であっても、人というのは同じように狂った事を考え、それを実行に移す事があるという事です。
動物だから構わないのだという考えが存在しながらも、同じような事を人間に対しても行える。人間に対してでも構わないという考えが、どこかに存在している。
法律という存在以外に、一体、どこでラインを引くべきなのでしょうか。


アメリカだから起こったのでしょうか?
でも上記の会社は、日本のある食肉会社の子会社だったそうです。


結局殺されるのだから、その前に何をしても同じじゃないか、と思う人もいるのかもしれません。
でも、殺される直前だって、その瞬間だって、彼らは怯え、泣き叫び、この世に絶望を感じながら死んでいくのです。


マザーテレサが創った、死にゆく人達の家という場所がインドにあります。
いずれ死ぬと言う事が分かっていても、人間は彼らの最後に少しでも愛を感じてほしいと、それが少しでもの慰めになるのだと知っているのです。


それなのに、同じように恐怖を感じ涙を流し、母性本能を以て子供を育てる、人間とたいして変わらない行動を見せる動物たちに対しては、産まれてから死ぬまで、恐怖と痛みと、絶望を与え続ける人間。私達はどれだけ恐ろしく、醜い存在なのでしょうか。
いや、もうすでに私はその行為を脱したので、過激的な発言と思われるかもしれないけども、同じ存在では無い、と思いたい。



苦しみと絶望の元死んでいった動物たちの肉、それを笑いながら、涼しい顔をして食べていた昔。


でも私にはもう、無理になってしまいました。
一度ベジタリアンになると、慈悲のラインが広範囲に及ぶようになります。
自分の行いが、どれだけおぞましく、無神経なものだったか、振り返って理解できるようになりました。
今では、特に豚肉、牛肉は匂いが臭すぎて、そして舌にまとわりつく生臭い味が不味く感じるようになり、口にする事が出来ません。


この世から、一人でも、一匹でも、一つでも、多くの命がより長く幸せを感じる事が出来ますように。
そして、悲劇の運命を送る命がこれ以上増えませんように。

神頼みではありません。

私達の行動一つで、彼らの苦しみを減らす事が出来ます。