アイデンティティーの確認

渡米してからいろいろな事を吸収しながら、やはり最終的にたどり着くのは、自分自身のアイデンティティーをどう確立するべきかという迷いである。

アメリカという国は人種のるつぼで、出会う人々とその背景にある文化、宗教、考え方が本当に多種多様なのだ。

とすると、アメリカという国に馴染むという事は、自分自身の立場と背景をはっきり確立しておかなければ、広い川に浮かぶ木の葉の様にフラフラと流されながら、最終的には自分自身を見失ってしまう危険性につながる。

つい先日、あるバーの女子トイレにて、人生初となる激しい女性同士のバトルを目撃してしまった。
日本では正直考えられないほどの激しさ。

以前にも同じような話を聞いたことはあるが、目の前で言い合いから始まり、流血沙汰になるまで喧騒が繰り広げられるのを見たのは初めてであった。

一人が顔面にパンチをして鼻血をだし、あとの一人は衝撃で床に落ちたグラスの欠片で足の裏を大怪我し、床が血まみれになるという、ちょっとした事件現場のような様相。

隣にいた白人女性もびっくりした様子で、こんなのは初めてだと言っていた。

こういったことが日常茶飯事であるというわけではないが、育ってきた環境や人種によっては、礼節や限度を学ばないまま大人になってしまうケースが多々あるのが、アメリカという国で、犯罪件数も地域やそこに住む人種によって極端に変わってくる。

そのバーはヒスパニックが多く出入りする場所なので、治安はあまりよろしくない。

また、別の日にはある程度身近な友人である中国人女性と、韓国人女性が、些細なことで喧嘩になり、ひどい言い争いになったあと、中国人女性が韓国人女性を突き飛ばした。

それ以来二人は口も顔も合わさない仲となってしまったが、言葉の問題があるとはいえ、理由があまりに些細な事であるだけに、私からは理解しがたい結末である。

私が女性であるから、話が女性中心となっているが、男性同士であっても似たような話はたくさんある。

ただ、こういった争いごとの中心となる人物が、日本人であるケースは今のところ耳にしたことがない。

一方私はというと、個人的な性格と、日本人であるというアイデンティティーが加わって、周りからの私に対する評価は、非常に節度があって優しい人間であるということになっている。

ただ、このレベルの節度というのは、日本人でなければ手に入れることができなかっただろうとつくづく思うのだ。
もちろん、友人の中国人である一沙なんかも、とても節度や仁義を大切にする良い女の子であるが、日本人の私の目からみると、日本人の基準と照らし合わせると、欠けている部分がある事は否めない。

欠けているというのは、私から見た場合であって、世界の価値観と照らし合わせれば、良い面にもなる。

日本人に対するステレオタイプな評価として、礼儀正しく優しく、自己主張が弱い、というものがある。

逆に、礼儀正しく、優しく、自己主張が強い日本人が増えれば、技術先進国という評価も相まって、世界でも類を見ない高い評価を得る国になるだろう。

昔の日本人はそうだった、という過去回避ではなく、平和な現代において、平和的な方法で侍魂、大和撫子魂を前面に押し出せれば、これからの日本はますます魅力的な国になるだろうと思える。

残念ながら、近頃の日本はAVやオタク系文化が蔓延りすぎて、世界の人に指摘されるたびに恥ずかしい思いをする今日このごろ。

日本の男性はなぜあんなに細くて女々しいのか、子供を性的な対象として見るなんて狂っている、日本の女性は白人男性に目がない。
そんな評価も、度々目にする。

日本全体の評価が下がると、世界で活躍する日本人の肩身も狭くなってしまうのだ。
世界に出ると、個人としての評価の次に、その人が背負った国の評価によって色眼鏡をかけられてしまうというのが実情。

日本国内にいる外国人に対して、アメリカ人だからおしゃべりだろう、イギリス人だから紳士であろう、インド人だからカレーが好きだろう、そんな勝手な思い込みで初対面の相手に偏見を抱いてしまうのと同じで、日本人も、外国に出ると同じように勝手なイメージで評価されている。

もちろんマイナスな評価を直接ぶつけてくる事は滅多にはないが、一度植え付けられた偏見は、なかなか払拭できないのが人間である。

ということで、今後は、礼儀正しく優しく、自己主張ができる日本人としてのアイデンティティーを確立すべく、その方法を模索していきたいと思っている。
それが日本をでた私の役割の一つだとも思っているし、世界の人たちに日本をもっと知ってもらいたいという気持ちもある。

四季の移り変わりを愛でる繊細な感性や、見返りを求めず困っている人を助けようとする優しさ、そして他国の文化を吸収しながら独自に発展させようとする勤勉さ。そんな日本人らしさを大切にしつつ、あえて空気を読まずに、思いついたことをずけずけと発言する図々しさを今後は積極的に身につけていきたいと思う。


この早乙女太一君の演技に、強く心を打たれました。
女形でも男形でも、どちらも美しい〜。