立花 宗茂 には 兄がいたのか?

先祖とか、血筋とか、そういった物にはあまり興味の無い私ですが、一つ気になる事があります。
このブログをたまたま目にした人が、何か情報を教えてくれたらなっという淡い願いを込めて、書いてみようかと思いました。


現在の主流として、福岡柳川、立花藩の城主だった立花宗茂は、高橋紹運の長男であるとされています。

しかし、地元図書館や資料館の文献には、立花宗茂は二男であり、長男に高橋馬之蒸直成(改名後:行徳馬之蒸直成)という人物がいたという記述が残っているそうです。


そしてこの長男なる行徳馬之蒸直成は、父である高橋紹運と共に1586年頃、岩屋城で戦死。

ちなみに、三男は三池藩主の父親だったそうですが、詳しくは知りません。

そして直成には戦死時、二歳になる息子がおり、家臣が岩屋城の戦いからその子を守るため一緒に逃げ落ち、その後大人になるまで育てたそうです。
この子の名前を、与左衛門之烝直勝と言います。(よさえもんのじょうなおかつ)


その後久留米田主丸辺りで戦前くらいまで代々酒屋を営んだとかなんとか?

この三男の子孫の直系が(多分)私の祖父の兄にあたるそうなのですが、この辺も親や、親せきからちょろちょろっと聞いただけの話なので定かではありません。

酒屋時代には、二度の火災によって財産を失っているそうで、その頃家系図等がもしあったとしても、焼失したのかもしれません。

世界大戦後に身分制度が完全に廃止されるまで、祖父一家は士族に属していたそうです。
立花宗茂の兄の血を引くからか、長い間、立花家から米や食糧が、筑後川をわざわざ上流して、船で運ばれてきていたそうですが、戦後の身分制度解体と共に、その様な風習もなくなったようです。


途中家系図や資料等が欠如しているため、完全に紹運の孫、与左衛門之烝直勝さんと行徳一家を結ぶ手立ては無いように思えます。
現段階で唯一残された物と言えば、行徳家の墓石に刻まれた行徳馬之蒸直成さんか与左衛門之烝直勝さんの名前のみ。
それと、同じ行徳という姓、それに士族であった血。


また、直系が祖父の兄というのも、家系図が存在しないか、私が実際に見た事が無いため確かめようがない。(分家の家系図は残っているらしい。)もし、本当に血のつながりが本当のものであるならば、現在私は直勝さんから見て、18代目の子孫になるそうです。

いずれにしても、我が家のこの話が本当であれば、歴史上、立花宗茂は高橋紹運の長男とされているところが、二男であったという事になりますから、事実関係が気になるところであります。


まあ、現代では身分制度なんて言う物はありませんから、すべては自分自身の努力次第です!ぼっちゃんと言われていたのも、私の祖父まで!財産も何もかも、火災や洪水やらですっからかーん!

そして私はただの貧乏学生☆


さ、頑張るぞ〜!