ネットリテラシー能力が低い中年以上の落とし穴
先日少し込み合った電車に乗っていた時のこと。
前方の座席に座っていた50〜60代くらいのおじさんのスマートフォンの画面が、ちょうど後方に立っていた私の目に入ってきた。
画面には、「ナースの。。。?」といったあからさまな卑猥系ゲームの内容が映し出されていた。
「あーあ、このおっさん終わってるなあ。」
そう心の中で思ったが、何よりも不快だったのは
隣に10歳にもならないくらいの小さな女の子が座っていたことだった。
その女の子のお父さんは通路を挟んだ隣の座席に座っているようで、心配してなのかちらちらと様子を伺い、最終的にはお父さんが寝ている女の子を抱っこして、ナースに脳汚染されたおっさんから物理的に離したようだ。
電車の中という公共の場において、卑猥なゲームに興じるおっさん、隣に小さな女の子が座っている状況でその行動。
こりゃダディーに話したらまた日本人にドン引きされるから、未だ私一人の心の中に留めるに至っている。
テレビを見ない私だが、近頃連日のようにSNSなんかでも拡散されて目に入ってくる森友学園の話題。
はじめは、あーあ、またくだらん事で騒いどる、と程度に思っていたが、
以前健康問題で辞任する前の安倍総理に、一度妻の昭恵夫人のことでメディアがバッシングしたことを思い出した私は、また同じような状況に至っている現状を鑑みて、相変わらずこの国は誰かを潰したい時にはその近くにいる”女”を利用するのだな、と冷めた目で観察していたのだが、
森友学園の学園長とその夫人に関しては別のことで少し気になった点があった。
彼ら夫婦は、明らかにその思考そのものがいわゆる”ネトウヨ”そのものなのだ。
スマートフォンやインターネットがこれだけ普及したこの現代において、
誰もが簡単にネット上の情報にアクセスできる時代になった。
私が危惧するのは、おそらくネットリテラシーについて学校で教育を受ける機会のなかった
これらの中年以上の世代が、ネットに蔓延るまとめサイトやチラシの裏の落書きを
純粋にも信じてしまっている可能性が0ではなく、むしろケースとしては多いのではないかということ。
そもそも、政治家の怠慢として私はすでにテレビと同程度の影響力があるインターネットの規律や整備を
怠っている現状が非常に腹立たしく、そのためにどれだけの人が人生に影響を受けているだろうかという懸念すら覚える。
インターネット検索をすると上位にヒットしてしまうくだらない作り話や、炎上商法を使ったまとめサイトと言われるものが、ただの広告費を目的としたドル箱ホイホイである現状に気づいている人はどれだけいるだろうか?
アフィリエイトという言葉を知っていても、これらまとめサイトがそのアフィリエイトでの収入を目的として作られているという事に気づける中年以上のおじさんおばさんが、どれだけの割合で存在するのだろうか。
10代や20代の若い世代が騙されるのは、仕方のないことだ。
社会経験や知識が浅いのだから。
いや、だからこそ早急に政治家はそれら若年層を守るべく法整備を行うべきだが、
おそらくそれら政治家がインターネットの現状についていけていないネットリテラシーの低い世代であることが明白なのが、絶望的にも感じる。
さて、そんな現状を踏まえ、ネトウヨ的思考を持った、老人に足を踏み入れている森友学園のかの夫婦。
おそらく彼らも、そんなネット上に溢れるドル箱ホイホイに足を踏み入れ、より過激な内容で読者の心をつかんで離さない手法にまんまと騙され、現実世界でもその影響を受けた思想を披露してしまった。
彼らの特徴は、190カ国以上あるこの広い世界において重要なのが、
日本の周りにある2、3カ国のみの動向で、
かつ日本人であることに異常なプライドを持っていて、
そのプライドを右も左もわからない無垢の子供達相手にも容赦なく叩き込むという
戦時中の日本人も真っ青の偏った思想を持っていることなのだが、
いかんせん金と地位だけはある、年功序列の日本において重要な位置を占める年代である中年以上の世代が
このような偏った思想を現実社会でも披露してしまっている現状に深い懸念を抱かずにはおれない。
と、このような見解に至ったのはかの昭恵夫人と森友学園の夫人がやりとりしたメールをSNS上で目にしたことがきっかけなのだが、
その中で森友学園の夫人が、このようなバッシングを受けるのはかの第三国の仕業ではないかという
存在するかしないかわからない敵に怯えているのを目にした時、私の頭に「あちゃ〜」という心の声が湧いてきたのだ。
こじらせてまんな〜と。
と、こういったことを書いていると、私も第三国人認定されそうなのではっきりしておくが、
私は戸籍に士族と表記されていた家系の子孫でれっきとした日本人です。
安倍首相も、初めの頃はノイジーマイノリティーであるネトウヨの便所の落書きを間に受けていたんでしょう。
世間知らずのおぼっちゃまなので、無理もないです。
今では政治的に利用している立場に変異しているのかもしれませんが、
しかしそれでも、スマートフォンが普及してネットリテラシー能力の低い初老あたりの人々が影響を受けている姿を見るのは痛々しい。
そして先に挙げた電車の中でモラルのない行動をするおっさんや、
現実世界の子供達にまで影響を与えている現状。
もうそろそろ、政治家の一斉世代交代を考える時期にきたんではないでしょうか。
メディアリテラシーの低い世代が政治の世界にまで影響を与えている現状は、正直笑えないほど不安定です。
日本の置かれている現状がカオスすぎて、本当に将来が不安になりますね。
テレビなど見ず、世界に友人がいて日々新しい情報が入ってくる私でもそう思うんですから、
日本にずっといて、日本のメディアにしか触れることのできな人たちの混乱っぷりは目を覆うほどでしょう。
おそらく、皆現実逃避をすることでなんとか正常を保っているんじゃないでしょうか。
それくらいのあれっぷりですわ。
宗教について
現在世界で信仰されている主要なものといえば、ヒンズー教、キリスト教、イスラム教、仏教などでしょうか。
日本では仏教と神道が主なものになるかと思います。
先日あるコーヒー屋さんでくつろいでいたところ、京都からいらっしゃったというお坊さんが話しかけてきました。
かなりご年配の方でしたので、話も長くボランティアのような心境で話を聞くことおよそ2時間。。。
まあでもご年配の方から聞く話というのはいつでも興味深いものです。
日本人は基本的には仏教と若しくは神道に属してはいますが、心の底から信仰しているかといえば現代人のほとんどが無宗教であると言えると思います。
世界では信心深い人が多いですし、あまり信心深くはないとしても、自分の所属している宗教に対しての知識はそれなりに持っている人が多いです。
私は残念ながら一般の日本人程度の知識しか持ち合わせていませんでしたので、色々話を聞くととても勉強になります。
ダディーともよく話します。結構興味深い内容だったので、彼なりの宗教に対する解釈を少し書いていきたいと思います。
まず仏教ですが、お釈迦様というのは言わずとしれたインド人なので、もともとはヒンズー教徒でした。
仏教が輪廻転生であったりカルマといった思想を持ち仏教のお経の発音もインドの古代語サンスクリットから来ているなど、ヒンズー教によく似ているのもそのためでしょう。
実際は、仏教というのはお釈迦様が亡くなられてから200年後あたりに成立したものだそうです。
彼が生きているうちに仏教を立ち上げたわけではないのですね。
それからキリスト教ですが、まずキリスト様は白人で髭を蓄えた男性が主流になっていますが、実はこの人物はキリスト様ではない可能性が高いそうです。
というのも、本来キリスト教というのは、メソポタミア文明やギリシャ神話、ヒンズー教などの一部をまとめて聖書として作られている可能性が極めて高く、そのため過去に存在した神話などと類似したストーリーが多く存在するそうです。
それを裏付けるものとして、英語ではキリストと発音するものは英語の元になっているラテン語ではクリスタと発音します。
また、ヒンズー教の有名な神様はクリシュナ。
ラテン語とサンスクリット語のどちらが先に存在したのかはわかりませんが、主たる神様の名前が非常に類似していることは明白です。
先にキリスト様の人物像について触れましたが、現在主流のキリスト様像は、紀元後のある白人司祭がモデルになっていると言われています。
元々キリスト教がメソポタミア文明やギリシャ神話、ヒンズー教をもとに作られているとすれば、本来キリスト様というのは、褐色の肌をした中東近辺の顔に近いはずです。
メソポタミア文明やギリシャ神話、ヒンズー教に仏教と、多神教であるにも関わらず、イスラム教とキリスト教は一神教です。
個人的には多神教である方が、柔軟で他人種や他文化を受け入れる器が広いのではないかと感じます。
日本は世界でも稀に見る単一民族国家ですが、それでも差別は存在します。
特に宗教が絡むと、他人を見下す精神が残念ながら加速しがちという印象を受けます。
自分は真理を知っている。修行を積んでいる徳の高い存在だ、と。
海という隔てがないほとんどの国々で、人種間、宗教間でものすごい混乱が発生するのにもうなずけます。
その中でもやはり、1000以上の言語と、世界中のどの色の人間もが存在するインドという国が、一つの国家としてまとまっていて、かつ大きな争いも世界の国々に比べ非常に少ないというのは、特筆に値するかと思います。
ヒンズー教の多神教である精神が他者に寛容な精神を生み出しているのではないでしょうか。
ちなみに、中国とインドを合わせると、世界人口の半分をも占めてしまいますが、これは現代に限った話ではなく、
過去数千年に渡り、この2国の人口は常に世界人口の半分を占めていました。(占有面積で考えると)
インダス川と黄河、そしてエベレストがもたらす恵み豊かな土壌のおかげで、常にこの2国は豊かな国であったのです。
イギリスがインドを植民地化するまで、インドはヨーロッパのすべての国を足しても足りないほどの財力を誇っていましたが、世界中の植民地から富を集めたヨーロッパが現代では強くなっています。
今後はまた元々の世界情勢に戻るのか、それともこのまま欧米国家が富を握り続けるのか?
今後の世界の行方に興味津々なリリーでした。
世界のお金と奴隷達
数ヶ月前にダディーが世界のお金の流れについて教えてくれました。
個々の国々の経済活動ではなく、世界全体でみた時に、
どこからお金が発生し、どの様に流れて私達の元へ来ているか、というかなりマクロな視点のものです。
これ以外にも、様々な情報について一般的にはわからない事を、彼なりの視点で分析しています。
これらの彼なりの分析を、できれば一般の人たちに広めて欲しいと彼は考えています。
彼と私の会話は英語です。
相当難しい内容のものを英語で聞いて理解するのも大変なのですが、
それを日本語に翻訳するのは、私としても骨が折れる作業で、
また翻訳中に誤訳したり、私の理解が至らず彼の話す内容を全て伝える事は出来ないかもしれません。
でも、IQ150の彼がどの様に世の中を分析し、問題提起をしているのか
一見の価値はあるかと思います。
徐々にこちらのブログでも時間が許す限り掲載していきたいと思います。
まずは世の中のお金について。
数ヶ月前に聞いた内容で、
図解してもらいようやく理解ができました。
とはいえ、徐々に忘れていってしまっているので、覚えている範囲で走り書きをします。
もう一度しっかり聞いて、いずれ再掲載したいと思います。
まず、アメリカドルは世界の基軸通貨です。
これはどういう事かというと、アメリカはいくらでも紙幣を発行し、世界へばらまく事ができます。
アメリカの金庫にお金が無くなっても、また新しく紙幣を擦り続ければ良いのです。
アメリカのフェデラルバンク(日本でいう日本銀行の様なもの。)はそうやって、際限なくお金を世界に貸し出す事ができます。
普通の国は出来ません。基軸通貨であるドルのみができる事です。
理由等は長くなるので割愛させて下さい。
そしてこれらの銀行が刷るお金には、実際の価値はないのです。
ただの紙切れです。金や食べ物といった実質の価値はありません。
しかしながら、アメリカは無価値のお金を擦り続け、
他の国々と価値のある物と交換する事が出来ます。
さて、話は日本へ移り、日本銀行は何をしているのかというと、
基本的には彼らも日本国民に対して同じ様な事をしています。
実際には無価値の紙幣を、各地の銀行へ貸し出し、その利子で利益を得ます。
各地の銀行は人々にお金を貸し出し、日本銀行へ支払わないといけない利子に更に上乗せした分から、
利益を得ます。
銀行はただの紙切れである紙幣に、利子をつける事で、実際には存在しない価値を生み出します。
では、実際に存在しない価値の穴埋めをしているのは誰でしょうか?
それは私達、国民です。
私達が働き労働し、銀行へ利子を払い続ける事で、お金に価値が生まれるのです。
では一体、これら日本銀行やアメリカのフェデラルバンクの持ち主は誰でしょうか?
どちらも、政府ではありません。
政府ではない、非公開の人々が出資者となっています。
そしてこれらの人達は、アメリカ人や日本人でなくても良いのです。
これらの中央銀行を支配している何者らかによって、
私たちは価値のない紙切れのために日々労働させられているのです。
これはアメリカ人も同様です。
フェデラルバンクという、政府以外の非公開の人々が所有する銀行が発行する、
価値のない紙幣の利子を払うために、
資本主義という消費社会に生きる私達は、
必要のないものに欲を植え付けられ、働き続ける奴隷となっているのです。
これらの非公開の人達は一体誰なのか?
ダディーに聞いたけども、「分からない」
と言いました。
恐らくまだ確証が無いのでしょう。
推測は出来るけども、証拠が無いのです。
日本人は勤勉であると、私はいつも誇らしげにダディーに話していました。
日本は安全で、平和で、仕事をして働き続けていれば、
ある一定の幸せが保証されている国だと。
ダディーは、昔の奴隷たちの思考と変わらないね。と言いました。
働きさえしていれば、とりあえず食べていける、住む所が与えられる。
逆にいえば、働く事を止める事が出来ない。。。
際限なく欲望を刺激され続け、モノは溢れかえっているのにも関わらず、
いつまでも幸せになれない人ばかりなのは、
私達がいつの間にか奴隷化しているからなのか。。。?
それでも、食うにも困る人達がいる国々よりは、日本は恵まれている。。。
あれ、でもどうして、世界には食うに困るような国があるのか。。。?
本来地球上には、全ての人間を賄えるだけの資源があるはずなのに。。。
本来価値のない紙幣によって、そして現在は恐らく単なるコンピューター上の数字によって、
私達は人生を支配されています。
このまま何となく生きていくという選択肢も悪くはないかもしれません。
ある程度の生活は今の所保証されているのですから。
でも、こにまま無価値な紙幣に、実質的な価値のある資源や土地、文化が
奪われないようにしなければいけない、と感じました。